政治家詳細
名前 | 菅直人(かん なおと ) |
所属政党 | 立憲民主党 |
選挙区 | 東京18 |
当選回数 | 13 |
プロフィール
SNS
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菅直人議員の過去の言動
言動日時:2021-10-21
「自民党政権は忖度政治です。私は総理大臣をやりました。(安倍政権のように)誰かをえこひいきして、この人にしようとかは、一度もやったことがありません」
――衆議院議員選挙の街頭演説で
情報ソース:https://news.yahoo.co.jp/articles/305089a8ee… |
言動日時:2021-10-15
「衆院の解散は、国民の手に総理大臣を選ぶ権利を戻すこと。新しい政権を作るための大きな選択の時だ」
情報ソース:https://mainichi.jp/articles/20211015/k00/00… |
言動日時:2021-09-12
「総裁選に出馬表明した政治家は誰の顔色を見ているのか。国民か、自民党党員か。
残念ながらどちらでもない。 安倍、麻生両元総理の顔をうかがっているのだ。 情けない。 河野氏が持論の原発ゼロを旗に掲げれば、党派を超えた支持が集まると思ったが全く期待外れだ。 ここは原発ゼロの枝野氏にかけてほしい」
情報ソース: |
言動日時:2021-09-10
「安倍元総理が総裁選で高市さんを応援している。本当に高市氏を総裁、総理にしようと思って応援しているのか。私にはそうは思えない」
「安倍氏の右翼的な思想に近い高市氏を応援することで、他の候補者がそうした思想に同調しないと応援しないと牽制しているのだ。それに乗ったのが河野太郎だ。情けない」
情報ソース:https://news.yahoo.co.jp/articles/ee0f8d19b2… |
言動日時:2021-08-03
「しかし、私の政権が対峙することになった東日本大震災と福島原発事故から今年で10年となり、これを機に各種メディアで当時の対応について検証報道がなされるなかで、民主党政権に対する感情的なバッシングが薄れ、冷静で中立的な解釈がなされるようになったと実感しました」
情報ソース:https://news.yahoo.co.jp/articles/222ed85163… |
言動日時:2021-08-03
「コロナ対応をはじめとする安倍、菅義偉両政権と比較して、国民にとって、どちらが『悪夢』なのかを考えていただきたい」
情報ソース:https://news.yahoo.co.jp/articles/222ed85163… |
言動日時:2021-03-04
東日本大震災は、地震と津波に加え、東京電力福島第一原発事故も引き起こした大災害でした。
日本が起こした世界最悪レベルの事故に直面するなかで、事故処理を日本の責任で行えず、他国に頼むようでは、日本が国家として成り立たないという思いが常に頭にありました。 米国など他国の協力は大変ありがたかったですが、前提として、できる限り自分たちの手で対処する覚悟で臨むことが、首相としての責任だと思いました。 東電本店に乗り込んで撤退しないよう求めたのは、こうした考えからでした。 事故翌日に福島第一原発に行ったことも同様です。現場で指揮に当たる福島第一原発の吉田昌郎所長に初めて会い、強い責任感を確認することができました。 批判も浴びましたが、今でも行ってよかったと思っています。
情報ソース:https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210304-… |
言動日時:2021-02-28
―震災を政治人生でどう位置付けているか。
事故発生初期に避難の過程でお年寄りや病気の方が大勢亡くなったことは非常に責任を感じている。震災前は、私も原発事故は起きないと考えていたが間違っていた。原発はゼロにすべきだ。
情報ソース: |
言動日時:2021-02-28
東電が(原子炉格納容器の破損防止のため内部の圧力を下げる排気作業)「ベント」をしたいと言ってきた。しかし、何時間たってもベントが行われたという報告が来ない。東電から官邸に派遣されていた武黒一郎フェローに理由を聞いても「分からない」と言う。私はこのままでは状況がつかめないと思ったから行った。そこで初めて吉田昌郎第1原発所長と会い、「決死隊をつくってでもやる」と言われた。吉田氏に会えたことは、その後の対応にとって、非常に有意義だった。
情報ソース:https://www.jiji.com/jc/article?k=2021022700… |
言動日時:2015-12-05
安倍晋三首相のメールマガジンで嘘を書かれ名誉を傷つけられたとして、菅直人元首相が安倍氏に謝罪文の掲載と損害賠償を求めた訴訟で、菅氏は12月5日、公式ブログを更新して以下のように述べた。
「安倍晋三議員は海水注入の継続を知らなかった東電本店の幹部と一緒になって『海水注入を止めたのは菅総理』と断定し、混乱の責任をすべて私に押し付けようとしたのだ」
情報ソース:https://www.huffingtonpost.jp/2015/12/05/kan… |
言動日時:2011-08-26
菅直人首相、辞意表明会見全文
菅 国民のみなさんに私からご報告をすることがあります。 本日公債特例法、そして再生可能エネルギー促進法が与野党のみなさんの努力によって成立をいたしました。 これで第2次補正予算を加え、私が特に重要視していた3つの重要案件がすべて成立したことになります。 これにより、以前から申し上げておりましたように、本日をもって民主党の代表を辞任し、そして新代表が選出をされた後に総理大臣の職を辞することといたします。 まず、国民のみなさんに申し上げたいと思います。 2010年6月8日に総理大臣の職に就いて以来、国民の多くのみなさまから多くの叱咤激励をいただきました。 温かい激励、厳しい批判、そのすべてが私にとってはありがたくうれしいものでありました。 国民のみなさまには心から感謝を申し上げます。 また、ともに新しい政治への変革に挑戦してきたみなさんにも感謝をいたします。 閣僚を始め、政務三役、政府職員、与党・野党の国会議員。そして全国の党員、サポーター。こうしたみなさんの支えがなければ、菅政権は一歩も進むことはできませんでした。 政権スタートの直後、参議院選挙の敗北により、国会はねじれ状態となりました。 党内でも2010年9月の代表選では全国の党員を始め多くの方々からご支持をいただき、再選させていただきましたけれども、それにも関わらず厳しい環境が続きました。 そうした中で、とにかく国民のために必要な政策を進める。 こういう信念を持って1年3カ月、菅内閣として全力を挙げて内外の諸課題に取り組んでまいりました。 退陣に当たっての私の偽らざる率直な感想は「与えられた厳しい環境の下でやるべきことはやった」という思いです。 大震災からの復旧・復興、原発事故の収束、社会保障と税の一体改革など、内閣の仕事は確実に前進しています。私の楽観的な性格かもしれませんが、厳しい条件の中で内閣としては一定の達成感を感じているところです。 政治家の家に生まれたわけでもなく、市民運動からスタートした私が総理大臣という重責を担い、やるべきことはやったと思えるところまでくることができたのは国民のみなさん、そして特に利益誘導を求めず応援してくださった地元有権者のみなさんのおかげです。 本当にありがたいと思っております。 私は総理に就任した時、「最小不幸社会を目指す」と申し上げました。 いかなる時代の国家であれ、政治が目指すべきものは国家国民の不幸を最小にとどめおけるかという点に尽きるからであります。 そのため、経済の面では雇用の確保に力を注いで参りました。 仕事を失うということは、経済的な困難だけではなくて、人として、人間としての居場所と出番を失わせることになります。 不幸に陥る最大の要因の1つであります。私が取り組んだ新成長戦略も雇用をどれだけ生み出すかということを、そうした観点を重要視して作り上げたものです。 また、さまざまな特命チームを設置して、これまで見落とされてきた課題。 例えば硫黄島からの遺骨帰還や、難病・ウイルス対策、自殺・孤立防止などにも取り組んで参りました。 菅 そして3月11日の大震災と原発事故を経験し、私は最小不幸社会の実現という考え方を一層強くいたしました。 世界でも有数の地震列島にある日本に多数の原発が存在し、いったん事故を引き起こすと、国家国民の行く末までも危うくするという今回の経験です。 総理として力不足、準備不足を痛感したのも福島での原発事故を未然に防ぐことができず、多くの被災者を出してしまったことです。 国民のみなさん、特に小さいお子さんを持つ方々からの強く心配する声が私にも届いております。最後の1日までこの問題に力を注いで参ります。 思い起こせば、震災発生からの1週間、官邸に泊まり込んで事態の収拾に当たっている間、複数の原子炉が損傷し、次々と水素爆発を引き起こしました。 原発被害の拡大をどうやって抑えるか、本当に背筋の寒くなるような毎日でありました。 原発事故は今回のように、いったん拡大すると、広範囲の避難と長期間の影響が避けられません。 国家の存亡のリスクをどう考えるべきか。そこで私が出した結論は「原発に依存しない社会を目指す」、これが私の出した結論であります。 原発事故の背景には“原子力村”という言葉に象徴される原子力の規制や審査のあり方、そして行政や産業のあり方、さらには文化の問題まで横たわっているということに改めて気付かされました。 そこで事故を無事に収束させるだけではなく、原子力行政やエネルギー政策のあり方を徹底的に見直し、改革に取り組んで参りました。 原子力の安全性やコスト、核燃料サイクルに至るまで聖域なく国民的な議論をスタートさせているところであります。 総理を辞職した後も、大震災、原発事故発生の時に総理を務めていた1人の政治家の責任として、被災者のみなさんの話に耳を傾け、放射能汚染対策、原子力行政の抜本改革、そして原発に依存しない社会の実現に最大の努力を続けて参りたい、こう考えております。 大震災と原発事故という未曾有の苦難に耐え、日本国民は一丸となってこれを乗り越えようといたしております。 震災発生直後から身の危険を顧みず、救援・救出、事故対応に当たる警察、消防、海上保安庁、自衛隊、現場の作業員のみなさまの活動を見て、私は心からこの方々を誇りに思いました。 とりわけ自衛隊が国家、国民のために存在するという本義を全国民に示してくれたことは、指揮官として感無量であります。 そして、明日に向けて生きようとする被災地のみなさん、それを支える被災自治体の方々、さらには温かい支援をくださっている全国民に対してこの場をお借りして心から敬意と感謝を表したいと思います。 大震災において日本国民が示した分かち合いと譲り合いの心に世界から称賛の声があがりました。 そして世界の多くの国々から、物心両面の支援が始まりました。必ずや震災から復興し、世界に恩返しができる日本にならなくてはならない。このように改めて感じたところです。 特に、大震災に当たっての米国政府によるトモダチ作戦は、改めて日米同盟の真の重要性を具体的に証明してくれました。 安全保障の観点から見ても、世界は不安定な状況にあります。 我が国は、日米同盟を基軸とした外交を継続し、世界と日本の安全を守るという意志を強く持つ必要があります。 5月に日本で開催した日中韓サミットでは、両国の首脳に被災地を訪問していただき、災害や困難に直面した際に互いに助け合うことの重要性を共有できたと思います。 また今、世界は国家財政の危機という難問に直面しています。私は総理就任直後の参議院選挙で「社会保障とそれに必要な財源としての消費税について議論を始めよう」と呼び掛けました。そしてその後も議論を重ね、今年6月、改めて社会保障と税の一体改革の成案をまとめることができました。 社会保障と財政の持続可能性を確保することはいかなる政権でも避けて通ることができない課題であり、最小不幸社会を実現する基盤でもあります。諸外国の例を見てもこの問題をこれ以上先送りにすることはできません。 難しい課題ですが、国民のみなさまにご理解を頂き、与野党で協力して実現してほしい。切に願っております。 私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたいと思います。 私にあるのは「目の前の課題を与えられた条件の下でどれだけ前に進められるか」、そういう思いだけでした。 伝え方が不十分で、私の考えが国民のみなさまに上手く伝えられず、また、ねじれ国会の制約の中で円滑に物事を進められなかった点は、大変申しわけなく思っています。 しかしそれでもなお私は、国民の間で賛否両論ある困難な課題にあえて取り組みました。 それは団塊世代の一員として、将来世代に私たちが先送りした問題の後始末をやらせることにしてはならないという強い思いに突き動かされたからにほかなりません。 持続可能でない財政や、社会保障制度、若者が参入できる農業改革、大震災後のエネルギー需給のあり方などの問題については、若い世代にバトンタッチする前に適切な政策を進めなければ、私たち世代の責任を果たしたことにはなりません。 次に重責を担うであろう方々にもこうした思いだけはきちんと共有してもらいたいと、このことを切に願っているところであります。以上申し上げ、私の退任のあいさつとさせていただきます。
情報ソース:https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/11… |
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